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遊気舎デヴィッド・ルヴォー惑星ピスタチオ|| 事業趣旨
1995年シンポジウム1996年ワークショップ舞台芸術総合センター(仮称)計画


ミュージカル特別講座

「a life in musicals
勇気がいるよ、キミがほんとうにしたいことなら」

演出・振付家 ジム・クラーク


ピアノ:山本益子
ダンス:BMT DREAM GIRLS :森田美香・宮本麻有・依田有左


アウトライン

 アメリカで生まれ育ち、ステージで活動してきたジム講師が、活動の場をアメリカから日本へ、またジャンル的にもダンサーから演出・振付家へと、移り変えながら自ら歩んできたミュージカル人生を振り返るとともに、これから舞台をめざす人に、「大切なもの」とは何かを、日本語で語りかける。レクチャーの合間に、ステップを踏みはじめたばかりの幼い日の講師の姿や、宝塚歌劇や東宝ミュージカルなど、講師が振付した作品のビデオを写したり、この日のために編成したBMT DREAM GIRLSが、ダンスの1シーンをステージ上で見せることで、視覚的にレクチャーを補足し、目で見ても楽しく、わかりやすい、パフォーマンス性を加味したレクチャーとした。受講対象者は、ミュージカル・ワークショップ応募書類を提出したうちの希望者全員。最後には会場と講師の間にQ&Aの時間をとり、より直接的なアドバイスがなされた。


レクチャー

ダンスをはじめた頃
 ローティーンの頃、私は、毎日、テレビ番組に合わせて踊っていました。その内、先生につくようになりました。プロと一緒に受けるクラスは充実していました。振りをもらっても、そのままなぞるだけでなく、自分なりに膨らませて、表現して見せるという積極的な彼らに影響され、情熱的な雰囲気に、自分もそのようでありたいと思うようになりました。
 ある程度上手になると、オーディションを受けるよう奨められます。アメリカはユニオン(労働組合)が厳しく、ユニオン加入者が優遇される原則があるにも関わらず、溢れんばかりの人がオーディションを受けます。何百人も集まる中でアピールするよう、工夫しなければならないことを知りました。

ニューヨーク時代
 高校を卒業し、兵役が終わると、すぐ、ずっと念願だったニューヨークへ行きました。いろんな先生がいろんな場所でクラスを持っていました。とにかく何でも勉強したくて、バレエ、タップ、フラメンコ、ジャズ、歌もやりましたし、演技のクラスにも通いました。朝から夕方までレッスン。その後、レッスン代と生活費のために深夜までアルバイト。親も友達も頼らず、自分で生活していると、まだまだ勉強できるぞという気持ちになれました。
 それはまた、オーディションの日々でした。アルバイトでなく、舞台に立って生活できるようにならなければなりませんから。初めてソロパートをもらったのはこの頃です。
 この時の審査スタッフからは、その後も声がかかり、他の仕事も一緒にやりました。自分のチャンスは自分で作れるようにしなければなりません。ちょっと違うなと思っても、新しいことをやって新しい人、新しい演出家に巡り会って何かをプラスしていくのです。一つの仕事が、次の仕事に結びつくかもしれません。だから仕事の一つ一つをちゃんとしなければならないのです。

オーディション
 ショービジネスは、自分を売るのが大事なので、いろんな先生に会ってみて、自分にあった先生と出会うことが大切だと思います。自分で自分を売り込むオーディションは非常に個人的なもので、全部の責任が自分に返ってくるので、サポートしてくれる人が必要です。ダンスや歌や演技の先生は、そのサポーターなのです。
 振付や演出の仕事を始めるようになると、オーディションを受ける側も審査側も体験することになり、物事が広く見えるようになりました。オーディションでは、自分に与えられる1分なり2分なりの時間を有効にプレゼンするための準備が必要です。ダンスなら決められたダンス以外にも得意なモノ、コミカルな趣向とか、歌でも得意があればそれを自分用のキーに直した楽譜を用意して持っていくのです。ここであせる必要はありません。審査側としては、与えた時間を、自分のテンポで、きちんと演出して、見せて欲しいのです。
 オーディションを受けても仕事がない場合もたくさんあります。例えば男性を先にオーディションしたとします。そこで身長が175センチぐらいでそろってしまったら、174センチの女性は・・・ダメです。歌よし、ダンスよし、演技も良い。でも、どうしようもありません。だから自分のせいだとばかり思わないことです。そしていろんなオーディションにチャレンジすることが大事です。

日本へ
 初来日は突然思い立った旅行でした。これが本当に楽しく、また来ようと思っていたところ、1981年、オオサカのジャズダンススタジオで教えてみないかと誘いを受け、再来日。テレビの仕事などを経て、今はステージダンスの振付など、日本での仕事もなれてきました。今は宝塚音楽学校や大学など、いくつかのクラスを持っているので、いろんな生徒さんと出会います。レッスンを続けて上手くなっても、結婚するとやめてしまう女性が多いのは不思議なことです。この辺り考えたいですね。


Q&A

Q ダンスや演技など、ジャンル別に分けられてしまっていますが、勉強は総合的なものではないのでしょうか。

ジム ジャンル別にしてしまうと、ミュージカル性が出なくなってしまいます。でも、ジャンル別に勉強して自分の幅を広げることはプラスになります。

Q 大阪市の新しい劇場について・・・。

ジム 難しいね。大阪市がソフトに力を入れてくれるのは、劇場に限らず、すごく嬉しい。でも、これから劇場を作って、いろんなことをやっていかなければならない。どういう風にしていけばいいか、というのは難しいね。
 でも・・・一番大事なのはお客さん。日本人は作品でなく「顔」を見に行く人が多いですね。でもそれだけでは、いいものが作りにくくなると思います。ある人が、その方がお客さんが入るからという理由で同じような役回りでばかり出るというのでは、「役」にはなりません。見る方も、いろんなものを探さないと良い作品に会えません。物語が面白そうとか、演出家に興味があるとか、振付家に興味があるとか、いろんな理由でいろんな作品を探してほしいと思います。

Q ダンスが好きで、将来仕事にしたいのですけれど・・・。

ジム これしかない、と決めてしまうことです。逃げ道を作ってしまうと逃げる気分が大きくなってしまいます。目標を「ミュージカルをする」という一点に持ち続け、一所懸命に続ければ、チャンスは出てくると思います。やめようかなと思うことはあります。腰がいたい、金もない。でも「やるでエ」それしかない。
 がんばってください。


(プロフィール)

ジム・クラーク/演出・振付家:

1947年生まれ。ブロードウェイ、ラスベガス等のステージ、テレビの出演、『ウエストサイド物語』等の振付やオリジナル・レビューの制作に携わる。1981年の来日以後、宝塚歌劇団や梅田コマ劇場の作品の振付を担当するほか、大阪音楽大学、宝塚音楽学校の専任講師に就任。BMT (ブロードウエイ・ミュージカル・シアター・スクール) で大阪発ミュージカルをめざし人材養成にあたる。

宛先・お問合せ先

大阪市市民局文化振興課「ワークショップ」係
〒530 大阪市北区中之島1ー3ー20
TEL. 06-208-9167

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