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1995年シンポジウム1996年ワークショップ舞台芸術総合センター(仮称)計画


「私の好きな世界の劇場」

坂東玉三郎/歌舞伎俳優、演出家、映画監督

聞き手:葛西聖司 (NHK大阪放送局チーフ・アナウンサー)



葛西
玉三郎さんは、さまざまな分野で活躍し、いろいろな劇場に足を運んでいらっしゃいますが。
玉三郎
年に一度、舞踊公演を行う熊本県山鹿市の「八千代座」は、90年ぐらい前の木造で700人ぐらいの小屋です。冷房も暖房もなく、最初はお客さんが来るか不安なまま2日間の公演を行いましたが、5年目を迎えた今年は10日公演になりました。
 楽屋も仮設だったり、交通の便も良くないのですが、お客さんとの関係がよく、やりいいのです。
 昔の劇場は客席が舞台を囲んでいて、お客さんと演者が非常に親密な関係にありました。人間が初めにやり始めた目的は、よく探る必要があるかと思います。
 戦後の劇場は、劇場の空間というものを知っている人が作ったものではないように思います。拡声器を使ったミュージカルを専門にするなら2,000人でもいいでしょうが、肉声の演技がお客さんに届き、その感動の気持ちが演者に届くというやりとりは、1,500人前後が限界だと思います。密接な関係は、遠くなってしまえばなくなってしまいます。大きい劇場が立派ということになっているのは、考え直さなければいけません。いいパフォーマンスといいお客さんの関係ができるのが立派な劇場なのだと思います。
 歌舞伎座は、古典的な設計が大きくなっていったものです。鶴屋南北などの芝居を大きな舞台にかけると芝居が延びてしまうのですが、それでも客席の奥行きがそれほどなく、舞台のすぐ前からお客さんがいて遠い感じがしません。また、2階、3階の客席が囲んでいるので、2,000人でも遠い感じはしません。
葛西
いいなと思われた劇場は、他にどこがありますか。
玉三郎
前の新橋演舞場が、見るにも聞くにも良かったです。新しくなり反響板がつきましたが、舞台で喋っていることが聞こえればいいので、反響板をつけると歪められてしまうように思います。歌舞伎座も古いけれども非常に音響のいい劇場です。今は測定器なしでは作れないでしょうけれど、劇場での音楽を愛し、聞く人でないと測定をしても仕方がないのではないでしょうか。
葛西
その他、世界の舞台では、いかがですか。
玉三郎
コメディー・フランセーズは芝居を見やすいと思いました。だいたい1,000人前後ですが、6階ぐらいまでの客席がずっと囲んでいて、舞台から客席の一番後ろまでが非常に近いのです。
 良いことを知っているのに、そういう劇場をつくらないことが、私には信じられません。単純に真似をすればいいわけではありませんが、空間がいいと知っているのだから、そのようなものを日本で考えてつくればいいと思うのです。
 私たちが話しても、「じゃあ承っておきます。」だけで終わり、建物を建てる人とお金を出す人がどんどんつくっていっています。自分は、ただ、好きな空間へ行ってパフォーマンスするということになってしまっているのが残念です。
 八千代座が良いのは、不便だからこそ、お客さんがそこに来ているという気持ちと、自分の、ベストのパフォーマンスができるという形があえる所です。劇場に簡単に行けて簡単に帰れるのももちろん意義がありますが、劇場に来る気持ちというのも大切だと思います。
葛西
大阪に新しい劇場がつくられるわけですが、ぜひご提言をお願いします。
玉三郎
全国に、他からのものを迎えることだけを目的としたホールができ、内容まで考えられなかったのは、戦後の仕方のない状態だったと思います。
 しかし「もうこれは終わりにしなさいよ」と申しあげたいです。劇場の細々したことは、大阪の方たち、芝居を愛している人たちが話し合ってつくるべきだと申しあげておきます。
 本当に「いい劇場」というのは、単純な言い方ですが、スタッフも何もかも劇場を愛している人たちがそこでつくっている劇場です。それには大阪でとか考えなくていいです。いい劇場はどこでも「いい劇場」なのです。ヨーロッパからの作品が入らないのは、劇場としてよくないからで、日本の芝居にもだめです。
 いいものは個性をもっています。そして定義はないと私は思います。いろいろな人たちが意見を持ち寄っても曖昧なものですが、うまくいい位置に動かしていくというのが劇場空間です。
 スタッフや演者が、その劇場の側に居やすい環境をつくることです。大阪の劇場に出張し、少しパフォーマンスして東京に帰るというのではなく、本当にそこでプロデュースをし、演出家も役者も側にいられるということが大切なことだと思います。
(プロフィール)

坂東玉三郎/歌舞伎俳優、演出家、映画監督:

1956年、守田勘弥に弟子入り、1964年に五代目坂東玉三郎を襲名。1969年、三島由起夫の新作歌舞伎「椿説弓張月」で抜擢され注目される。以後、歌舞伎をはじめ、シェークスピア劇、新派、三島作品など様々な分野に出演。アンジェィ・ワイダ演出の「ナスターシャ」では舞台版、映画版ともに出演、他にも海外の演出家と創作活動を共にしている。1990年代に入り、フェスティバルホールでの特別舞踊公演など意欲的な企画を実現させる。自らも演出を手掛け、映画を撮る他、俳優養成の私塾を主宰するなど幅広い活躍を続けている。

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